スーパーへ行って思う事(森村幸子)

2006年07月18日

今日では商品そのものだけで売れる商品は少なくなってきました。

魚を例に取ってみましょう。

私の母親の時代は魚は一匹で買いました。

魚屋さんがさばいてくれることもありましたが、どこの家にも出刃包丁の一本はあって主婦が料理したものでした。

スーパーへ行きます。

豚カツやえびフライ、すっかり衣まで着せられてただ揚げられるのを待つ状態です。

ご飯ですら炊かれた状態で冷凍になっています。

電子レンジやコードレス電話、エアコンなどでは説明の情報を満載した取扱説明書を無くしたらお手上げです。

かねてから私はもう「羊奨」だけでは売れない。

それを情報やサービスで包んだ「シベリャ」(カステラで羊奨を巻いたお菓子)にしなければ売れない時代が来たと主張しているのです。

問題は製品そのもの質の問題より「カステラ」の部分のクオリティが問われるようになってきたことです。

今日の科学技術の発展は「羊奨」の質に関してはどこのメーカーのものでも大差なくなりました。

その部分に関しては質がいいのは当たり前という認識です。

ここで注意しなければいけないのは製品のクオリティとサービスのクオリティは違うということです。

これは形のある商品と形のない(インタンジブルな)サービスとの特性の差に起因します。

企業の発展に品質管理が寄与したなかに確率論を基礎にした推計統計学があります。

例えば抜取検査で不良品の誤差を認めています。

モノの生産の場合にはそれは許容範囲です。

しかしサービスのクオリティはたとえ0.1%の誤差も許されません。

飛行機の離着陸でパイロットに0.1%の失敗を許したらどうなるでしょう。

サービスのクオリティは100%の完全さを要求するのです。

森村幸子(和のふるまい講師)
Posted by 森村幸子 at 04:14 │森村幸子所作